このサイトは週刊少年マガジンで好評連載中のベイビーステップを応援する個人運営の非公式のファンサイトです。


その他の考察

岩佐くんが描いた絵

テニスコート‥それは無限の可能性を秘めた真っ白なキャンバス‥テニスの試合でボールを使って絵を描く孤高の天才、岩佐くん。
エーちゃんとの試合では1セットマッチにも関わらず2時間10分以上の熱戦を繰り広げ、数々の絵を描くことに成功しました。しかし、岩佐くんには一体どれだけのレパートリーがあるのでしょうか‥‥2時間10分プレーをしていれば相当な数の作品が完成したはず。
というわけでエーちゃんとの試合で岩佐くんが描いた絵の内、判明しているものを紹介します。
「」は岩佐くんの本編中の台詞です。


■ゴッホ『ポプラの小道』1884年ポプラの小道

ゴッホにとっての1883年12月〜1885年11月頃はヌエネン時代と呼ばれ、画家として全力で独自の道を探り始めた時期でした。
主題は、農民、 職工、そしてヌエネン近郊の風景などであり、代表作に『じゃがいもを食べる人たち』がありますが、暗い色調の作品が多くなっています。
ゴッホの画家としての人生を前期と後期に分けるのなら、後期は前期と打って変わって生き生きした色彩へと変貌し『ひまわり』もそんな中で誕生しました。しかし岩佐くんは「ゴッホはヌエネン時代がいい」と言っています。その辺りに岩佐くんの美学を見ることが出来ます。

「ゴッホはやっぱりヌエネン時代がいい」
「色調は暗いけどあの炎の男がついに独自の道を探求し始めた時代‥‥」
「鬼才ゴッホに親近感が持てる貴重な時なんだ‥‥」
「この絵は最後のドロップショットが完成度を決める」



■歌川広重『東海道五十三次 平塚』1833〜1834年頃東海道五十三次 平塚

唐ヶ原のくねったあぜ道(縄手道)の先に平塚の宿場がありました。
「く」の字に曲がった道によって丸い形をした高麗山との距離感を出し、さらに富士山を遠くにのぞかせた盛り沢山の構図には、広重のサービス精神が読み取れます。
現在でも平塚駅を西に歩いていくと、正面に高麗山が見られます。

「浮世絵で描かれた僕が生まれ育った街の古の姿」
「後に漫画・アニメへと進化する浮世絵はまさに近代文化の原点」
「当時から世界に名だたる印象派の巨匠たちに影響を与えてたんだからな」



■ゴッホ『花咲く梅の木』1887年花咲く梅の木
(歌川広重『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』の模写)

ゴッホにとっての1886年3月〜1888年2月頃はパリ時代と呼ばれ、ひたすら学び、革新し、そして実験し尽くしました。
この頃のゴッホにとって重要なインスピレーションの源は、日本の浮世絵でした。ゴッホは多くの浮世絵を収集した上、それらを油彩で模写しました。
浮世絵と新印象主義の影響下に、そしてまたパリの生活の雰囲気の中で色彩は一変して明るくなり、その後の筆触は新印象主義風の点描となりました。

「ゴッホが浮世絵に影響を受けて描いた油絵――」
「俺がコートに模写するようになったのも先人の芸術が模倣から生まれることを知ったから」



■モネ『睡蓮』1920年頃睡蓮
※モネは連作として睡蓮を数多く描いていますが、岩佐くんが描いたのはおそらくこれではないかと思います。

モネは同じモチーフを異なった時間・異なった光線の下で描いた連作を数多く制作しましたが、最も作品数が多くモネの代名詞ともなっているのが『睡蓮』の連作です。
『睡蓮』は自宅の庭にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上制作されました。
『睡蓮』を描き始めた頃は池の周りに木や橋も描かれていましたが、晩年はモネが白内障を患い失明寸前の状態にあったこともあって限りなく抽象に近付き、次第に水面と睡蓮のみになっていきました。

「一度やってみたかった地面をキャンバスに描くモネの超大作『睡蓮』――」
「抽象画に近い『睡蓮』は今日みたいにとことん返してくる相手じゃなきゃ成立しない」



以下は本編では登場しませんが、4巻の巻末4コマに作品名が出てきます。


■フェルメール『レースを編む女』1669〜1670年頃レースを編む女

偉大な絵は、芸術家が暗示するだけで目に見えない大きな力を感じ取ることが出来る。フェルメールの『レースを編む女』に私はそれを発見した。この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている。
by サルバドール・ダリ

この作品は23.9×20.5cmという小さなもので、さらに娘の手元の繊細な作業を繊細に表現しています。
きっと岩佐くんも試合では、一点集中して一針一針丁寧に編み込んだことでしょう。


■カナレット『ヴェニスの大運河』1719年ヴェニスの大運河

正確な一点透視図法で描かれた水の都の景観。
カナレットは写真のような絵を数多く残しましたが、ほとんどの絵で現在のカメラの原理に共通するカメラ・オブスクラを使って下書きをしていました。
カメラ・オブスクラは大きな箱の中にレンズが入っていて、風景はレンズを通り、さらに鏡に反射して紙に写し出されます。
映像はかなり大きく、スクリーンに映し出されたスライドのようなもので、それをペンでなぞって書く。カナレットはこれを非常な精密さで実行しました。


あと、おまけ(?)としてエーちゃんの絵(テニスではなく本物の絵)を描いたことがありますね。(神奈川県ジュニア決勝や合同練習)
次こそは美大受験合格だ!!!